東京高等裁判所 昭和54年(ネ)745号 判決 1982年5月19日
控訴人
(附帯被控訴人)
東京都千代田区
右代表者東京都千代田区長
加藤清政
右指定代理人
山下一雄
外三名
控訴人
(附帯被控訴人)
東京都
右代表者東京都知事
鈴木俊一
右訴訟代理人
吉原歓吉
右指定代理人
池野徹
外二名
被控訴人
(附帯控訴人)
保坂展人
右訴訟代理人
中平健吉
同
河野敬
同
宮本康昭
同
中川明
同
仙谷由人
同
秋田瑞枝
主文
一 原判決中、被控訴人(附帯控訴人)の控訴人(附帯被控訴人)らに対する請求を、金一〇万円及びこれに対する昭和四七年三月九日から支払ずみにいたるまで年五分の割合による金員の限度を超えて認容した部分を取消す。
二 前項の取消にかかる被控訴人(附帯控訴人)の請求を棄却する。
三 控訴人(附帯被控訴人)らのその余の控訴並びに被控訴人(附帯控訴人)の附帯控訴をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人(附帯控訴人)の負担とする。
事実
第一 当事者の求ゞた裁判
一 控訴人(附帯被控訴人、以下「控訴人」という。)ら
1 原判決中控訴人ら敗訴の部分を取消す。
2 被控訴人(附帯控訴人)の請求を棄却する。
3 本件附帯控訴を棄却する。
4 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人(附帯控訴人)の負担とする。
との判決
二 被控訴人(附帯控訴人、以下「被控訴人」という。)
1 本件控訴をいずれも棄却する。
2 原判決被控訴人敗訴の部分を取消す。
3 控訴人らは被控訴人に対し、更に各自一〇〇万円及びこれに対する昭和四七年三月二九日から支払ずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は、第一、二審とも控訴人らの負担とする。
<以下、省略>
理由
第一高等学校進学妨害関係の請求について
一被控訴人の地位等
被控訴人が昭和四三年四月に本件中学校に入学し、昭和四六年三月に同校を卒業したものであること、被控訴人は、右卒業に当り同年二月一五日私立和光高等学校、同月一七日私立成城高等学校、同月二三日に都立第二六群、同年三月六日に私立日本学園高等学校、同月二〇日に私立向上高等学校の各入学者選抜試験(以上がいずれも「高等全日制普通科」の入学者選抜試験であつたことは、弁論の全趣旨によつて明らかである。)を受験していずれも不合格となつたこと及びその後同年四月八日に都立新宿高等学校定時制の入学者選抜試験を受験して、同校に入学を許可されたこと、以上の事実は、いずれも当事者間に争いがない。
二本件調査書の作成提出とその記載内容
1 本件各調査書が被控訴人主張のとおりに作成され(ただし記載内容の点を除く。)、各高等学校に提出されたことは当事者間に争いがない。
2 学校教育法施行規則五四条の三は、中学校長は「中学校卒業後、高等学校、高等専門学校その他の学校に進学しようとする生徒のある場合には、調査書その他必要な書類をその生徒の進学しようとする学校の校長あてに送付しなければならない。」旨定めており、<証拠>を総合すれば、
(一) 都教委は東京都公立学校の管理運営に関する規則(昭和三五年都教委規則八号)二〇条の規定に基づいて、昭和四六年度における東京都立高等学校等の入学者選抜の方法等を定めた本件実施要綱(乙第一号証)中において、被控訴人を含む昭和三七年度以降の中学校卒業生に関する調査書の様式を原判決別紙(一)のとおりとしたうえ、その作成要領を本判決別紙(1)のとおり定めたこと、及びその第三Ⅰ(Ⅱ)2において調査書中行動及び性格の記録につき項目ごとの評定は「生徒指導要録の記入要領」により中学校在学期間を通してなされるものとされていること、また右記入要領は、都教委が昭和三七年二月に学校教育法施行規則一二条の三に基づき定めた「児童等の指導要録」の作成要領として定めた本件指導要録取扱い(乙第二号証)中そのⅡ9行動及び性格の記載の項において「この欄には、各教科、道徳、特別教育活動、学校行事等その他学校生活全体にわたつて認められる生徒の行動及び性格について記録すること。」とされたうえ、本判決別紙(2)のとおり定められていたこと、
(二) 生徒の進学志望校が私立高等学校の場合にあつては、本件実施要綱の適用がなく、昭和四一年七月一三日都教委議決「東京都立高等学校入学者選抜制度の改善に関する基本方針」(乙第三号証)が「国立、私立高等学校の志願や就職にさいして提出する学習の記録は、都立高等学校志願のさいに提出するものと同じものとするよう要請する。」としていたほかには、調査書の作成要領等を定めたものは当時存在せず、当該高等学校において独自の調査書様式、作成要領を定めている場合には、それによるが、それ以外の場合にあつては、本件実施要綱に準拠して作成提出されるのが通常であつたこと、
(三) 被控訴人の本件各高等学校の入学者選抜試験の受験に当つては、被控訴人の本件中学校第三学年次における学級担任教諭の菅野昭二郎が、被控訴人に関する調査書の原案を作成し、これに基づき本件中学校長野沢登美男が同人作成名義の調査書を完成させたうえ、これを所定の期日までに本件各高等学校長あてに持参又は送付して提出されたのであるところ、都立第二六群に提出された調査書は(一)において認定した定めに従い作成されたことは当然であるが、本件の各私立高等学校に提出されたその他の調査書も、それらの学校がそれぞれ独自の調査書様式等を定めていなかつたため、都立第二六群に提出された調査書と同一様式同一内容のものが用いられたこと、
以上の事実が認められ、他に右認定を妨げる証拠はない。
3 本件調査書の「行動及び性格の記録」欄中「基本的な生活習慣」「自省心」及び「公共心」の三項目がCと評定記載されていたことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すれば、
(一) 本件調査書の「行動及び性格の記録」欄中前記の三項目をのぞく他一〇項目は、すべてBと評定記載されていたこと及びその「備考」欄等には、控訴人らが自認するように、概ね「校内において、麹町中全共闘を名乗り、機関紙『砦』を発行した。学校文化祭の際、文化祭粉砕を叫んで他校生徒とともに校内に乱入しビラまきを行つた。大学生ML派の集会に参加している。学校側の指導説得をきかないでビラを配つたり、落書をした。」旨記載され、またその「出欠の記録」欄中の「欠席の主な理由」欄には、表現の詳細は明らかではないが「風邪、発熱、集会又はデモに参加して疲労のため」という趣旨の記載がされていたこと、
(二) 右「備考」欄等の記載内容は、「備考」欄からこれに接続する上欄の「特記事項」欄にかけて記載されたものであつて、右記載内容のいずれの部分が「特記事項」欄に記載されたかはこれを確定することはできないものの、この「特記事項」欄に及んだ記載内容が本来同欄に記載されるべき事柄に属しないものであることは、前記認定の本件実施要綱の定め(別紙(2)中(Ⅱ)「5特記事項」の項参照)によつて明らかであるというべきところ、右の記載内容が「特記事項」欄に及んだのは、前記認定の記載内容のすべてを「備考」欄に記入するには、その余白部分が不十分であつたためであり、それ以外には他意がなかつたこと、
以上の事実が認められ、他に右認定を妨げる証拠はないし、他の本件全証拠を検討して見ても「備考」欄等に右以外に被控訴人が主張する事項が記載されていたことを肯認し得る資料はない。そこで以下右の記載あるいは事実を「備考欄等の記載」あるいは「備考欄等記載の事実」ということとする。
三本件調査書の作成提出行為の違法性の有無
被控訴人は野沢校長の右各調査書作成提出の行為が違法であるというが、中学校長が高等学校進学志望の生徒について担任教師の意見を聞き、調査書を作成して当該高等学校に提出する行為が外形的に見る限り正当な権限の行使とされることは前説示に照らしていうまでもないから、違法性の有無が問題となりうるのが調査書の記載内容に関してだけであることは当然であるところ、被控訴人は種々の理由を挙げて本件調査書の記載が校長としての教育評価権限を逸脱しもしくは濫用してなされたものであつて違法であると主張するので、以下順次判断する。
1 本件調査書の記載が事実に反するとの主張について
<証拠>を総合すれば、
(1) 被控訴人は、すでに本件中学校の第二学年在学当時から、その頃社会問題化していたベトナム戦争反対、日米安保条約の存続をめぐる諸問題その他の政治問題に深い関心を持つと同時に本件中学校の受験本位と見られる教育方針に強い疑問を抱くようになつていたが、第三学年に進級する前後においては、更にこれらの政治ないし社会情勢の推移につき危機感を抱くにいたり、被控訴人自身が右の諸問題に対処するため何らかの具体的な行動に出るべきではないかと考える一方において、高等学校へ進学するためには、そのような行動を断念し、もつぱら受験勉強に励むべきではないかとも考え、その相克状態に深刻に悩んだが、そのような気持を表現する場所として被控訴人が第二学年当時級友七、八名とともに当時の担任教諭の承認を得て発行した文集「砦の囚人」が、ベトナム反戦問題を取扱つたことを理由として担任教諭によつて、三号以後の続刊を事実上禁止され、結果被控訴人の意見を級友らの前に発表する方法がなくなつてしまい、また被控訴人がその頃友人とともに渋谷駅前で行われていた他の中学校の生徒によるベトナム反戦運動のための資金カンパ活動の手伝をしたことが学校当局の知るところとなり、その際学校当局が被控訴人らの右の行動に対して一片の理解をも示そうとしなかつたばかりでなく、かえつて、いわゆる越境通学生である被控訴人に対し、被控訴人が再度右のような行動をとるならば、被控訴人をその住所地の中学校に転校させる旨警告するにいたつたため、被控訴人は、学校当局の許可を受けないで校内においてビラを配布することは、当時本件中学校の生徒会規則によつて禁止されていることを知りながら、やむにやまれず昭和四五年四月頃「中学生総反乱」と題し、被控訴人が当時抱いていた政治情勢に対する危機感並びに反戦平和を訴える文章をわら半紙にガリ版印刷したビラ約二〇枚を不特定の級友らに配布するにいたつたこと、これに対し、本件中学校第三学年の学年主任であつた坂野教諭及び前記菅野教諭は、すぐさま被控訴人を呼出し、右ビラの執筆者、印刷者又はその配布方法などを問いだすと同時に学校内の規則に違反する右のようなビラの配布を以後行わないように被控訴人を説諭し、また野沢校長は、同年四月八日に被控訴人の父武義の来校を求め、被控訴人が右のようなビラの配布をしないよう家庭においても指導するよう協力を求め、武義も、この野沢校長の要請に従うことを約束したこと、また被控訴人は、本件中学校の第三学年次のクラブ活動においては、社会クラブに所属したが、新学期早々同クラブの中にマルクス・レーニン主義の研究等を目的とする政治経済社会研究班を設けることを企画し、クラブ顧問の教師からの所定の許可を得ないままで、他の同クラブ所属の生徒とともに「マルクス・レーニン主義を学ぼう」と記載した入会勧誘ポスターを校内に掲出するなどのことがあつたため、前記研究班を設けること自体を学校によつて禁止されたことがあつたこと、
(2) 次いで被控訴人は、昭和四五年四月二八日には「砦」と題し、沖縄解放、ベトナム戦争反対などについての被控訴人のかねてからの所為をわら半紙一枚半面にガリ版印刷したビラ約五〇枚、同年五月一一日には、「砦」第二号として、被控訴人の手になる中学解体小論などを同様印刷したビラ約五〇枚をひそかに級友に配布するにいたつたため、本件中学校の生徒指導主事の小出教諭及び前記坂野教諭は、被控訴人に対し、右のようなビラを印刷、配布することを中止するよう説諭し、また野沢校長は、同年五月二九日に再び父武義の来校を求め、被控訴人が右のようなビラを印刷、配布しないよう家庭においても指導されたい旨重ねて要請すると同時に右ビラの執筆者、印刷場所、配布方法、外部とのつながりの有無、家庭での指導経過についての報告を求め、これを諒承した武義からは同年六月五日頃、右ビラの執筆、印刷者は被控訴人であり、印刷場所は法政大学である、配布方法は、被控訴人はいえないとしている、外部とのつながりについては、被控訴人は、いいたがらないが、外部の影響を受けずに自主的に行動したと述べている旨並びに家庭での指導経過等についての報告が本件中学校に寄せられたこと、
(3) その後被控訴人は、昭和四五年六月一四日市民団体主催の日米安保条約自動延長反対のデモが行われた際いわゆるべ平連のデモ隊の隊列に加わつたことがあり、その後も数回にわたつて同種のデモに参加し、ときには、父武義の切なる反対を押切つて参加したこともあつたこと、また被控訴人は、同年七月頃からは「麹町中学校マルクス主義研究会(略称として「KMM」を使用)」を名乗りはじめ、次いで「麹町中学校全学共闘会議(略称として「麹町中学全共闘」又は「全共闘」を使用)」を名乗つたが、更に同年八月頃には被控訴人が中心になつて他の中学校の生徒をも含む約二〇名の中学生とともに「全関東中学校全共闘会議(略称として「全中共闘」を使用)」を結成したうえ、全中共闘の運動として、べ平連の定例デモに参加し又は街頭で反戦運動のための資金カンパ活動を行つたことがあり、また被控訴人は、当時本件中学校内において、みずからML派(ML派が当時存在した新左翼過激派の学生団体であることは公知の事実である。)と関係があることを公然と表明したことがあつたこと、
(4) 被控訴人は、前記のように文集「砦の囚人」の第三号以下の続刊を事実上禁止されたこと及びクラブ活動としての政治経済社会研究班の設置が学校によつて禁止されたことにつきいたく不満を抱いていただけでなく、かねてから、前記のように受験本位の本件中学校の教育方針は為政者がとつている海外侵略政策に奉仕するものであつて、本来クラブ活動の成果の発表の場であるはずの文化祭は、右の本件学校の教育方針ないしその意図を隠蔽する手段にすぎないと確信し、かかる本件中学校の態度に抗議すべきことを考えていたが、昭和四五年九月一三日の本件中学校の文化祭当日の昼頃、本件中学校の他の生徒一名及び他の中学校の生徒九名とともに、各自ヘルメットをかぶり覆面をしたうえ竹竿を持ち、当時閉鎖されていた本件中学校の裏側通用門を乗越えて校内に立入り、校舎の屋上にかけ上り、そこから、校庭をめがけて「文化祭粉砕」「管理された文化祭を粉砕せよ」「文化祭を我らの手に」「文化祭粉砕闘争に起て」等印刷した多数のビラをまき、更にシュプレヒコールをしながら校庭一周のデモ行進をしたうえ正門から退去したこと、そのため、被控訴人は同日中に所轄警察署員により補導され、家庭裁判所に送致されるにいたつたこと(のち家庭裁判所で不処分の審判を受けた。)、
(5) 右のような事態が発生したため、野沢校長は、同年九月一七日に三たび父武義の来校を求め、被控訴人が自発的にしばらく休校するよう配慮を求め、武義も野沢校長の右要請を被控訴人に伝えたが、被控訴人は、これに従わず登校を続け、同月二〇日頃には、九・一三文化祭闘争特集と銘打つた「砦」第四号を、同年一〇月初頃には「義務教育管理体制粉砕」「生徒会自治権を」「ビラまき、掲示の自由を」「制服制帽廃止」「定期学力テスト廃止」「検定教科書をつかうな」等のスローガンを掲げた「砦」第五号を発行し、前同様配布するにいたつたこと、
(6) またその頃から被控訴人は、本件中学校校舎の壁面に「全共闘」と、校舎の窒枠に「教育の帝国主義的再編粉砕」「中学生の政治活動を」と、自分の個人用ロッカーの扉に「解放戦線」「全共闘は斗うぞ」「卒斗勝利」とマジック・インキで落書し、また右のロッカーの扉に「麹町中闘争勝利、全共闘」「(冒頭の一字不明)闘を実力で闘い抜け、ビラまきの自由を、言論思想統制粉砕、麹町中全共闘」と記載したビラを貼付したこと、
(7) 以上のような被控訴人の行動に対し、本件中学校の教諭らが被控訴人に対し直接説諭指導に当つたこと及び野沢校長が被控訴人の父武義に対し、家庭における被控訴人の指導を要請したことは前記のとおりであるが、そのほか、担任の菅野教諭は、第三学年の一、二学期中においては、平均週一、二回の割合をもつて授業の休憩時間又は放課後の時間を利用して校内において被控訴人と面接し、更に昭和四五年の秋には、被控訴人を自宅に招いて宿泊させたうえ被控訴人と話合い、被控訴人が現に強い関心を持ち危惧を抱いている社会ないし政治情勢に関する事柄は今直ちに解決し得る問題ではなく将来にわたつて熟考すべき問題であり、現在は中学生として人生の基礎を固める時期であるから、そのためには与えられた教科の学習に専念すべきであつて、叙上のような行動は中止すべきである旨重ねて熱心な説諭と指導を試みたが、被控訴人は、ついに納得せず、依然として前記のような行動を繰返したため、第三学期に入る頃からのちは、同教諭において被控訴人を個人的に指導する機会も次第にすくなくなつていつたこと、
以上の事実が認められ、他に右認定を妨げる証拠はない。
2 以上の事実関係によれば、前記認定の本件調査書の「備考」欄の記載内容のうち、被控訴人が「大学生ML派の集会に参加している。」旨の記載部分をのぞけば、それが、すべて被控訴人の本件中学校における行動と一致し、事実をありのままに要約記載したものであつて、これらの記載内容が被控訴人の本件中学校中における極めて些末な行動を取上げ、これを殊更に針小棒大に表現したとは到底認められない。また前記「備考」欄等の記載のうち、被控訴人が「大学生ML派の集会に参加している」旨の記載部分については、本件全証拠を検討して見ても、直接にこれを裏づける資料を見出すことはできないが、被控訴人が本件中学校において、自ら大学生ML派に関係がある旨表明した事実は前述したとおりであり、これと前記認定の被控訴人の本件中学校在学中における一連の行動並びに<証拠>によつて認められる被控訴人が前記のように本件中学校において配布したビラには、当時新左翼過激派に属する大学生らがビラその他の情宣文書において慣用していた中華人民共和国政府採用の略漢字が多用され、また右のビラのうちには法政大学構内において印刷されたものも含まれていた事実、更に当時法政大学の中にもML派の拠点が存在したという公知の事実を総合すれば、被控訴人がML派と関係を持ち、その集会に一度ならず参加したことのある事実を推認するに十分であつて、とくにこの推認に反する証拠はなく、結局備考欄等の記載の全部が事実に即していたというべきであるし、また前認定の事実関係からすれば、出欠の記録中欠席の主な理由として「デモに参加して疲労のため」とする記載が事実に反するともいゝえないことが明らかである。
なお、本件調査書中各C評定の記載は、価値判断の結果の記載であつて、事実の有無とは直接かかわる問題でないこともちろんである。
それ故本件調査書の記載が事実に反するとの被控訴人の主張は理由がない。
3 本件各C評価があやまりであるとする主張について
本件実施要綱及び指導要録取扱いによれば、本件調査書においてC評定のなされた各項目すなわち「基本的な生活習慣」、「自省心」、「公共心」がそれぞれ「生命の尊重・健康・安全の習慣が身についているかどうか、正しいことばづかいや能率的な動作ができるかどうか、身のまわりの整理整とんができているかどうか、時間や金銭をだいじにし、合理的に活用するかどうかなど」、「自分の特性や長短を知つているかどうか、自分のあやまちを卒直に認めるかどうか、わがままな行動をしないで節度を守るかどうか、謙虚に他人の意見に耳を傾けるかどうか、など」、「きまりや規則を理解して守るかどうか、公共物をたいせつにするかどうか、公共の福祉のためにつくそうとするかどうか、など」を意味するものとされ、右各項目に対するA、B、Cの各評価がそれぞれ「特にすぐれたもの」、「普通」、「特に指導を要するもの」を意味するものとされ、備考欄にはC評定の項目に対する具体的な理由や指導方針を項目ごとに記入することが望ましく、場合によつては数項目をまとめて全体的に記入してもよいとされていたことは前認定のとおりであるところ、前記のように備考欄の記載がすべて事実である以上、これらの事実関係を前提として野沢校長が右三つの項目について、被控訴人に対し、特に指導を要するものと考えてC評定をなしたことが不当であるということはできない。なんとなれば、A、B、Cの三段階による評価は、本来相対的な価値判断(A、B、C各評点の学級内あるいは学年内での配分率が定められていないことから、これを絶対評価と称する向もあるが、A、B、C相互の間に、AはBよりすぐれ、BはCよりすぐれているという相対的な関係があることは否定できない。)であつて、前記実施要綱及び指導要録取扱いに従うほかは、中学校長の自由裁量に委ねられており、例えば判断の前提となつた事実の認識に誤りがあつたり、前提となつた事実関係から導き出された判断結果が一見明白に不合理なものであつたり、あるいは内心的判断と外部に表現された判断結果とがそごしているなど特段の事情のない限り、右裁量権の行使が違法とされる理由はないと解すべきところ、本件各C評価の前提となつた事実関係の全体についてはこれを知るよしもないが、少くとも備考欄等に記載された前記の事実関係にあやまりのないことは前示のとおりであり、右事実関係からすれば、野沢校長が各C評定の項目について「特に指導を要する」とした判断が、唯一無二のものであるといえないにしても、一見明白に不合理であるとは到底いえないし、その他野沢校長の右各項目の評定についての裁量権の行使を違法ならしめる特段の事情を認めることはできない。
それ故、右の点についての被控訴人の主張もまた採用の限りでない。
4 備考欄等の記載及び欠席の主な理由欄の記載が不当であるとの主張について
前出要綱及び取扱いによれば調査書の行動及び性格の記録中C評定がなされた場合には、備考欄にその理由及びその他指導上の問題点について具体的に記入することが要求され、右記入は項目ごとになされるのが望ましいが、場合によつては数項目をまとめて全体的に記入してもよいとされているから、中学校長は右に従う限り、如何なる事項を如何なる程度において記載するかについて、広汎な裁量権限を有していることはいうまでもなく、それが事実に反しているなど特段の事情がない限り、違法とされる理由はない。そうして右各記載が赤裸々に過ぎ、偏狭の感あるを免れないものであるとしても、それが事実に反していないことは既に見たとおりであり、要綱及び取扱いの定めに反していないことも明らかであるから、野沢校長が右各記載をなしたことが右裁量権限を逸脱したということはできず、この点に関する被控訴人の主張も理由がない。
因みに、<証拠>によれば、被控訴人が最後に入学を許可された都立新宿高等学校定時制の第二次募集の受験に際し、野沢校長が同高等学校に提出した調査書は、前記各調査書と異なり、備考欄の記載がずつと簡略化され、抽象的な表現にとどまり、具体的事実に及んでいなかつたことが認あられる。この点は、都立高等学校定時制第二次募集は、一般に定員に余裕があり、形式的資格を具備した受験者である限り、通常実質的な選抜なしに入学を許可されることは公知の事実であつて、中学校から提出される調査書も実質的な選抜資料としての意味が薄いことから、本件各調査書と異つた内容の調査書が作成されたものと推測されるが、都立の定時制高等学校の場合であつても、調査書の作成については全日制高等学校の場合と同様になされるべきことは<証拠>によつて明らかであるから、野沢校長が本件各調査書における備考欄等の記載を必要なそれと判断していたのにかかわらず、新宿高等学校定時制に提出した調査書にこれを記載しなかつたことは、むしろ裁量権の恣意的な行使であるといわれてもやむをえないであろう。
5 各C評定の項目について被控訴人に対する中学校側の教育指導がなされていなかつたとの主張について
前認定によれば、野沢校長、菅野教諭らは被控訴人に対し、各C評定のなされた項目について種々個別的な教育指導を試み、努力したと評価することができるから、これと異なる前提に立つ被控訴人の主張は失当というべきである。なお、被控訴人が、右の教育指導がもつぱら学校管理もしくは進学指導の立場からなされたもので、真の教育的立場からなされたものでないと考えていることは原審における被控訴人本人尋問の結果によつて明らかである。そうして学校教師の中に、教師と個々の生徒との人間的接触にもつぱら重点をおく考え方と、学校管理や進学問題を比較的に重視する考え方があることは当然であるが、教師である以上前者の考え方を完全に放擲することが安易にできるはずもなく、本件の当時(昭和四五、六年ころ)を含め、現今の教育情勢のなかで、多くの学校教師が理想と現実の板ばさみとなつて苦しんでいるのであつて(野沢校長、菅野教師らがそんなに憎めない普通の教師であつたことは、前出本人尋問の際被控訴人自身も認めているところである。)、野沢校長、菅野教諭らのなした被控訴人に対する個別的教育指導が、すべて学校管理、進学指導の立場を出るものでなかつたというならばそれは明らかに言い過ぎであろう。
6 調査書の記載と中学校における平常評価とが異なつているとの主張について
<証拠>によれば、本件中学校における「家庭通信表」の「行動の記録と所見」欄が指導要録の「行動及び性格の記録」欄にほぼ相当するものであることを認めるに十分であり、調査書における「行動及び性格の記録」欄と指導要録における右欄の関係は、前記認定のとおりである。そして<証拠>によれば、被控訴人の本件中学校の第一学年次から第三学年次までの家庭通信表の「行動の記録と所見」欄に被控訴人が当審において主張したところ(第二、二、2、(四))に副う記載があることは明らかである。ところで一般に中学校が、各学期末又は学年末に生徒の保護者に対し、生徒に関する通信簿又は成績通知表等(以下「通信簿」という。)を送付し、保護者の中学校教育に対する理解と生徒の教育指導についての協力を求める資料として活用していることは公知の事実であり、前記の家庭通信表が右の通信簿に相当するものであることは、弁論の全趣旨によつて、これを認めるのに十分であるが、通信簿の作成送付自体が法律上の根拠のある制度ではないし、<証拠>によれば、本件指導要録取扱いが「指導要録の記載事項に基づいて家庭への通信を作成する場合、その記載事項をそのまま転記すると誤解を生ずる場合もあるから、これらの作成に当つては、特に注意すること。」としていることが認められるが、右以外に都教委が通信簿の送付、その記載事項及び記載要領等についての特別の規制又は指導をしていることは、本件記録上もこれを見出すことができない。従つて、通信簿を保護者に送付するかどうか、送付するにしてもいかなる名称を付し、いかなる事項をいかなる表現を用いて通知するかは、挙げて学校教育法四〇条、二八条並びに東京都公立学校の管理運営に関する規則三五条、七条の各規定によつて中学校教育の管理権限を付与されている校長の教育的裁量に委ねられているものと解するほかはない。これを要するに、通信簿と調査書は、明らかにその作成目的を異にするから、両者がいずれも指導要録に基づいて作成されるものであるにせよ、その記載事項ないし記載内容を合致させなければならないとする合理的な根拠を見出しがたい。のみならず前認定のように野沢校長及び菅野教諭らは、備考欄等記載の事実に関し、被控訴人の父親を学校に呼び寄せ、右事実を告げたうえ、学校側の指導に対する父兄側の協力を要請しているのであつて、これによりその限りにおいてこれと異なる従前の通信簿の記載は修正せられたものと見るべきは当然であるから、両者の不一致を云々すること自体が不合理であるともいえる。それ故いずれにしてもこの主張もまた採用の限りでない。
7 本件調査書の記載が被控訴人の高等学校進学を妨害する意図をもつてなされたとの主張について
本件調査書のうち、備考欄等の記載は、率直に云つてこの調査書の送付を受けた高等学校側で被控訴人を入学させることをためらわせる感のあるものであることは否定できない。しかしながら、中学校長が調査書を作成するに当つては、情実を排し、公正を旨とすべく、公正に作成された調査書の記載によつて当該生徒が進学試験に不合格となる虞れがあるとしても場合によりやむをえないことはいうまでもない。そして本件調査書の各C評定並びに備考欄等の記載は、前認定の事実関係及び調査書制度の目的に照らして、公正に作成されたものということができる一方、本件において野沢校長らが、本件調査書を作成するに当り、その記載によつて被控訴人が本件各高等学校に入学を許可せられないこととなる可能性を認識していたかどうかはともかくとして、被控訴人が各高等学校から入学不許可とされることを積極的に意図して、その目的のための手段として本件調査書を作成したとの事実は、本件全証拠を以てしてもこれを認めることができない。それ故被控訴人の右主張もまた採用することができない。
8 本件備考欄等の記載が憲法一九条、教基法三条一項に違反するとの主張について
右備考欄等の記載が、被控訴人の思想信条そのものを問題とし、それにマイナスの評価を加えたものでなく、被控訴人の中学生としては明らかに異常な行動面を問題としたものであることはその記載自体に照して明らかであるところ、特定の思想信条が思想信条にとどまる限り、これを理由として教育上の差別取扱いをなしえないことはもちろんであるが、仮りにそれが一定の思想信条から発したものであるとしても(前認定の事実関係から被控訴人がそのころマルクス・レーニン主義を信奉していたとにわかに断定できず、またその他思想信条と呼びうるような具体的な内容をもつた一定の考え方を有していたかどうか必ずしも明らかであるとはいえないし、他にこれを認めるに足りる証拠もない。)、被控訴人が前認定のように生徒会規則に反し、校内の秩序に害のあるような行動にまで及んで来た場合において、中学校長が高等学校に対し、学校の指導を要するものとして、その事実を知らしめ、もつて入学選抜判定の資料とさせることは、思想信条の自由の侵害でもなければ、思想信条による教育上の差別でもない。被控訴人のこの点に関する主張も理由がない。
9 本件調査書中各C評定及び備考欄等の記載が憲法二六条、教基法三条一項に違反するとの主張について
右主張は、右各規定が生徒に学習権及びその具体的一内容たる進学権を保障している以上、この保障は学校長の教育評価権に優先するものであり、中学校長は進学のための調査書に、おおよそ受験者の進学を妨げるような事項を記載してはならないとの見解を前提とするものであるが、被控訴人のいう学習権あるいは進学権が万人に保障されたものであるにしても、各人の能力に応じた分量的制約を伴うものであることは、右各規定に照らして明らかで、進学に際し、上級学校によつてなされる能力による選抜が当然視されるもその故である。そうして右選抜の資料とするために受験者の属する中学校からその志望高等学校に対し調査書を提出することが法律上または事実上の制度として行われていることは既に見たとおりであり、右調査書制度自体政策的に見た場合いろいろな問題点があるにもせよ、憲法上あるいは法律上の問題の生ずる余地はない。そして調査書が本人にとつて有利に働くこともあれば、不利に働くこともある(広い視野で見えば、本人にとつて有利な場合はライバルに不利に、本人にとつて不利な場合はライバルに有利に働く。)のは事柄の性質上当然のことであり、本人にとつて有利にしか働かない調査書制度なるものを想定することは不可能である。それ故、学校長は進学のための調査書に本人に不利なことを記載してはならないとの被控訴人の見解は、合理的な基礎を欠く独自の見解といわざるをえず、これを前提とする被控訴人の右主張は到底採用しえない。
以上のとおり、野沢校長が本件調査書を作成し、各高等教育に提出した行為は、すべて権限に基づく正当な行為であつて、これを違法とする余地はないといわねばならない。
四因果関係の有無
本件調査書の記載と被控訴人の不合格との間の因果関係の有無も、本件において重要な争点とされているので、これについても判断しておく。
1 都立高等学校の場合
<証拠>によれば、都立高等学校全日制普通科の選抜については、審査委員会が、その群の募集定員に達するまで志願者のうちから、調査書中の学習の記録等と学力検査との総合成績のよい者の順に群の入学候補者(最終的にはこのうちから各都立高校に設けられた選考委員会がその学校の入学許可予定者を決定する。)を決定するものとされていること及び調査書と学力検査の成績との取り扱い等については教育長が別に定めることとされていることが認められるが、右総合成績の出し方については、右教育長の定めが証拠として提出されていないので正確には知ることができないが、<証拠>によれば、右総合成績は学力試験の成績と調査書中中学三年時の学習の記録とを総合した数値をもつて表され、これによつて群の受験者全員に順位が附せられるものであること、行動及び性格の記録の各項目中Cの評定があるために総合成績が合格圏内にあるのにかかわらず不合格となつた例は群に属する都立高等学校の場合に昭和四八年以前にはなかつたことを認めることができる。<証拠>中右認定に反する部分は措信できない。してみれば、本件調査書を作成するに当り、C評定があるために総合成績とかかわりをなく被控訴人が入試不合格となると予測することはできない訳であるし、又備考欄等及び欠席の主な理由欄の前記記載についても、特にそのような予測が可能であつたとする資料はない。そして、相当因果関係とは、現実に継起した因果の系列そのものではなく、通常こういう原因があればこういう結果があると客観的に予測される因果関係をいうのであるから、右各記載と被控訴人の都立高等学校入試不合格との間に相当因果関係があるということはできない。
2 私立高等学校の場合
本件各私立高等学校の場合、都立高等学校と同じようにあらかじめ選抜方法が定められていたのかどうか、定められていたとすればどのようなものか、事前に定められていなかつたとすれば実際の選抜はどのように行われたかは、日本学園高等学校関係で風間道太郎証言があるほかには、まつたく証拠がなく、不明である。しかしながら、いずれの場合においても、学力試験及び面接が行われたことは当事者間に争いがないので、右学力試験及び面接の各結果、調査書の記載の三者が選抜資料とされたことは疑いがない。そうして私立学校の場合は公立学校と異なり、国民一般あるいは地域住民一般に対する教育機関としての責を負う訳ではないから、独自の方針あるいは校風をもち、これに同調する者のみを受容れる自由があつて(私立学校法一条参照)、入学者選抜に際しても、学校教育法施行規則五九条一、二項に従う限り、必ずしも数字化した総合成績順位によらなければならないことはない。従つて本件調査書のC評定、備考欄等、あるいは欠席理由などのような記載があつた場合にそれだけでその他の要素を斟酌することなく不合格とする私立高等学校がないとはもちろん云い切れない。しかしながら一方において、問題があるとされる生徒を全人格的な接触により啓発、善導することこそが教育の本義であつて、もともと素質がよく問題のない生徒を無難に育てることだけが、学校の使命ではないとする考え方は教育思想として極めて一般的なもので、実際にそのような考え方で運営されている高等学校が存在することも稀ではないから、すべての学校が本件のような調査書の記載に拒否反応を示すと断定することは到底できない。そして本件において、被控訴人の受験したすべての私立高等学校はともかく被控訴人に対する面接を行つているのであり、もし被控訴人が各校における面接の際に良好な成績をおさめていたとしたら(例えば中学時代のような過激な行動をする意思のないことや当該高等学校において真剣に学習する意欲を有していることを面接者に十分に感得させることができるなどしていたら)、あるいは合格を許されていたかも知れないことは、日本学園高等学校の面接において、「君はこの学校に入つても、それ(全共闘運動の意)をやる気か。」と聞かれ、学校側で原因をつくらなければやらないと取られる応答をしたにもかかわらず、同校における被控訴人の合否決定の評決において、合格を否とする意見一二名に対し、可とする意見が九名もあつた事実から、窺い知ることができよう。もつとも前認定の経緯からすると、被控訴人が右各面接の際にかなり鬱屈した心境にあつたであろうこと、また面接の際被控訴人なりに真剣な応答をしたであろうことは想像に難くないのであるが、被控訴人が現に受験している高等学校にどうしても合格したいのなら、できる限り面接結果良好と判断されるような応答をすべきであり、そうではなくて、たとえそれが被控訴人の信念にもとづくものであるとしてもみずから不合格を招くような面接応答をしたとするなら、不合格の原因を調査書の記載のみに帰することはできないであろう。そうして更に<証拠>によれば、被控訴人は向上高等学校における面接の際、「それだけ教育に対して批判を持ち、今の学校に対して疑問を持つているなら、君がこの高等学校を受けること自身も一つの矛盾ではないのかね。」と聞かれ、「より大きな妥協をしないために小さな妥協をすることはやむを得ない。」と答えた事実が認められ、右の応答はその前後にどのようなやりとりがあつたにせよ、面接者側から見れば、被控訴人が高等学校生活に無条件で真正面から取り組む姿勢をもつていないとせざるをえず、積極的な面接評価を与えることができなかつたであろうと考えられる底のものであり、またその他の高等学校の面接においても、被控訴人が本質的に右各面接におけると同様な態度をとり、同様な評価を得たであろうと推認させるのである。ともあれ、本件調査書の記載は、未だ、あらゆる私立高等学校において面接の結果如何にかかわらず入試不合格の結果をもたらすようなものとまではいえず、当該高等学校の方針如何により、あるいは面接及び学力試験の結果如何によつては合格もありえたと考えられるのであつて、畢竟するところ、本件調査書の記載と本件各私立高等学校における被控訴人の入試不合格との間に相当因果関係があるとまではいえない。なお、原審証人太田垣幾也は、調査書にC評定があれば、公私立を問わず高等学校はその子を入試に合格させない旨を証言しているが、措信できない。
五以上に見てきたとおり、野沢校長が本件各調査書を作成し各高等学校に提出した行為になんらの違法はなく、また右の行為と被控訴人の各高等学校入試不合格との間に相当因果関係の存在を認めることもできないから、高等学校進学妨害を理由とする被控訴人の請求はその余の点を案ずるまでもなく失当というほかはない。
第二分離卒業式関係の請求について
一請求の原因3項(一)の事実(原判決一六枚目表九行目から同一七枚目表九行目まで)は当事者間に争いがなく、被控訴人は、野沢校長が右のように被控訴人の本件卒業式への出席を拒否したことが違法である旨主張するところ、右のように被控訴人を本件卒業式に参加させず、被控訴人のために分離卒業式を行うにいたつた経過についての当裁判所の認定は、次のとおり訂正するほかは、原判決理由説示(原判決九七枚目表五行目から同一〇二枚目裏二行目まで)と同じであるから、これを引用する。
1 原判決九七枚目表五行目から次行にかけての「甲第一一号証、」「第六号証の九の一、二、第八号証の一〇」を削り、同七行月の「甲第三号証」の次に「甲第一一号証、乙第六号証の九の一、二、第八号証の一及び四ないし一〇、第九号証の一、三」を加える。
2 同九七枚目裏四行目から次行にかけての「前記二4(三)認定のとおり」及び同九八枚目裏六行目に「前記二4(三)(8)認定のとおり」とあるのを、いずれも「前記認定のとおり」と改める。
3 同九九枚目裏二行目から次行にかけて「前記二3(五)認定のとおり多数の高等学校が学園紛争に巻き込まれ、かつ」とあるのを「日米安全保障条約の自動延長及びベトナム戦争反対等を標榜する反日共系の左翼過激派学生等による集団的な暴力事件が各地において頻発したが、一部においては、中学校の生徒がこれら学生らのデモに参加するなどの事実が報道されていたし、また当初は、大学に限られていたいわゆる学園紛争が高等学校にまで波及し、当該の高等学校当局はもとより都教委等もこれらの対策に腐心していたにかかわらず」と改める。
二以上の事実関係によれば野沢校長が被控訴人を本件卒業式に出席させれば、卒業式に混乱を生じさせる虞れがあり、かかる混乱を回避するためには、被控訴人に対し本件卒業式に出席することを禁止し、被控訴人のためには別に卒業式を行うほかないとしたことはやむを得ない措置として是認することができる。
これに対し被控訴人は、被控訴人の意図した卒業式闘争とは、卒業式を混乱させ壊滅しようというものではなく、従来受動的で儀式化している卒業式に卒業式としての真の意味があるかどうかを正面から問い、それを通じて卒業式とは何か、教育とは何かを教師を交えて討論しようとするものであった旨主張するが、被控訴人の内心の意図がどのようなものであつたにせよ、そのような闘争が卒業式の場に混乱を惹き起すものであることは疑問の余地がないから、野沢校長の前記の判断にあやまりがあつたとはいえない。また被控訴人は中学校を卒業しようとする者は、学習権の一内容として卒業式に出席する権利を有し、この権利は中学校長の学校管理運営権限をもつてしても制限しえないものであると主張するが、そのような具体的な学習権を実定法上認めるべき根拠はないし、仮りにそのような考え方を是認するとしても、およそ学校教育は教育を施す側とこれを受ける側の協調なくしては成立しえないものであるから、中学校生徒の学校に対する学習権とは本質的に受動的な学校側あるいは教師側に協調しつつ教育を受け取る権利(憲法二六条も「教育を受ける権利」という表現を用いている。)であつて、学校側、教師側と対立し、これと闘う権利ではないと考えるべきところ、前認定の事実関係からすると、被控訴人は本件卒業式の段階においてかかる意味での学習権を行使する意思はなかつたとするほかはないのであつて、野沢校長の前記の措置が被控訴人の学習権を侵害するものとは到底いうことができない。
三従つて、本件における分離卒業式の違法を前提とする被控訴人の請求は、その他の点について判断するまでもなく認容の限りではない。
第三卒業式当日における不法拘束に関する請求について
一本件卒業式当日本件中学校の教諭らが被控訴人に対してとつた処置についての当裁判所の認定は、次のとおり附加、訂正するほかは、原判決理由説示(原判決一〇五枚目表四行目から同一〇八枚目表九行目まで)のとおりであるから、これを引用する。
(一) 原判決一〇五枚目表末行の「同野沢登美男(前に同じ)」の次に「当審証人北見功、同高橋智江の各証言」を加える。
(二) 同一〇六枚目表七行目の「原告の本件卒業式への出席を制止し、」以下同末行の「場合に備えたが」までの全文を削り、その代りに「校門に係の教諭を配置して被控訴人に対し、被控訴人の卒業式は午後一時に行うから、そのときになつて登校するよう説得することや、被控訴人が右説得に応じないときは、卒業式が終るまで被控訴人を本件教室において待機させること及びその場合における係の教諭を決定し、被控訴人が本件卒業式に出席すべく登校した場合に備えていたが」を加える。
(三) 同一〇七枚目裏四行目の「藤井教諭ら数名が右の出入口附近において」以下同七行目の「出ることはできないと観念し」までを削り、その代りに「本件教室内においては、藤井教諭及び北見教諭が被控訴人と向い合うように椅子に坐り、被控訴人が本件教室外に出られないように見張つていたが、その間被控訴人は、何回となく「卒業式に出せ。」といいながら椅子から立つて、前記の出入口に向つて突進し、その都度右の教諭らによつて、もとの椅子に引き戻され、そのうちの一回については、被控訴人が本件教室から出ようとするのを、右二教諭及びその場に来合わせた藤田教諭が取押えようとしたところ、被控訴人がその場に転倒し、勢の余つた右の三教諭が被控訴人の上に折重なるように倒れかかつたこともあつた。その後被控訴人は」を加える。
(四) 同一〇八枚目表七行目の「付近にいた教員から、」の次に「少年時代の体験談を聞かされたり、話かけられたりしたが、被控訴人は、殆ど無言で答えようとせず、従つて、教員から、」を加える。
二控訴人らは、藤井教諭らの右行為は、被控訴人に対する教育作用の一環として許容される範囲内の行為である旨主張するが、右認定の事実関係に照らし、その理由のないことは多言を要しない。なお控訴人らは、右行為は被控訴人が本件卒業式を混乱に陥れ、一般生徒らの安全を脅かすことを防ぐためのやむをえない行為であつたとも主張しているが、前認定の事実関係によれば、当日被控訴人が学校側の事前の制止を聞かずあえて登校して来たものであるとはいえ、被控訴人に対し物理力の行使をはじめる段階においてもまたその後の段階においても、学校側が教育者として期待される平和的説得的な態度に欠けるものがあつたといわざるをえず(学校側がそのような態度をとつていたとしても、必ずしも被控訴人がこれに従つたであろうといえないことももちろんであるが、後にやむをえず正当防衛的に物理力を用いざるをえないことが考えられるからといつて、先に手を出してよいというものではない。)、その意味で、藤井教諭らの行為がやむをえないものとして許容される行為であるということはできず、控訴人らの主張は失当である。
三してみれば、前記藤田教諭らの被控訴人に対する暴力による拘束が不法行為とされることは明らかであるから、次いで控訴人らの責任について検討する。控訴人区が地方自治法二八一条二項一号により本件中学校を設置管理しこれに関する教育事務を行う地方公共団体であり、藤井教諭らがいずれも控訴人区の地方公務員たる本件中学校の教諭であることは当事者間に争いがなく、藤井教諭らによる被控訴人に対する前記加害行為がその目的、場所、態様などからしてその職務を行うについてなされたものであるということは明らかであるし、一方控訴人都は市町村立学校職員給与負担法一条により区立中学校である本件中学校の校長教諭らの給料を負担する者であることは制度上明らかであるから、控訴人区は国賠法一条一項により、控訴人都は同法三条一項により、藤井教諭らの前記加害行為により被控訴人の受けた損害を賠償する責任があるといわねばならない。
四そこで損害賠償額について見るに、前記認定の事実関係によれば、被控訴人が暴力によつて本件教室内に拘束されたことにより多大な精神的苦痛を蒙つたであろうことは推認するに難くないところであるが、被控訴人が本件教室内に拘束されるにいたつたことについては、前記認定のように、被控訴人が早くから卒業式闘争を呼号したり、本件中学校からあらかじめ与えられた指示を無視してビラを携行するなどして登校し本件卒業式に出席しようとしたことも、その一因となつていることは明らかであり、その他本件にあらわれた諸般の事情を斟酌すれば、被控訴人が蒙つた前記精神的苦痛は、控訴人らから金一〇万円の支払を受けることによつて慰藉されるものとするのが相当である。
五以上のとおりであるから被控訴人の右請求は被控訴人が控訴人らに対し、各自一〇万円及びこれに対する右不法行為後であることが明らかな昭和四七年三月二九日から支払ずみにいたるまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当として認容すべきものであり、その余の部分は失当として棄却すべきものである。
第四結論
以上の判断と一部その趣旨を異にする原判決はその限りにおいて不当であるから、右の不当の限度において原判決主文第一項を変更し、控訴人らのその余の控訴並びに被控訴人の附帯控訴を棄却することとし、民訴法九六条、九二条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。
(石川義夫 寺澤光子 原島克巳)
別紙(1)
東京都立高等学校入学者選抜実施要綱
昭和四六年度東京都立高等学校(以下「都立高校」という。)の入学者選抜は、この要綱の定めるところにより実施する。ただし、東京都立秋川高等学校及び東京都立上野高等学校通信制課程の入学者選抜については別に定める。
第一 募集
1 応募資格
(Ⅰ) 都立高校に入学を志願することのできる者は、
1 昭和四六年三月に中学校又はこれに準ずる学校(以下「中学校」という。)を卒業する見込みの者
2 中学校を卒業した者
3 学校教育法施行規則(以下「施行規則」という。)第六三条の各号の一に該当する者
のいずれかであつて次の(Ⅱ)又は(Ⅲ)に該当する者とする。
(Ⅱ) 全日制の課程(以下「全日制」という。)にあつては、
1 志願者は保護者(父及び母の二人をいう。父母のいずれかが生存しない場合は父又は母、父も母も生存しない場合は後見人をいう。以下同じ。)とともに東京都(以下「都」という。)内に住所を有し、かつ、入学後も引き続き都内から通学する者とする。ただし、志願者が都内に住所を有し、次のいずれかの一に該当する場合も出願できる。
(1) 志願者と保護者が同一通学区域内に住所を有し、別居している場合。
(2) 志願者が上記Ⅰ-(Ⅰ)-2又は3に該当する場合。
(3) 父と母又は父母のいずれかが行先不明で後見人又は父母のいずれかと同居している場合。
(4) 父と母又は父母のいずれかが療養・転勤のため父母のいずれかの一方又はおじ等と同居している場合。
(5) 父と母が離婚したため又は離婚するため別居している場合でいずれかの一方と同居している場合。
(6) その他やむを得ず別居中と認められる者については東京都教育委員会教育長(以下「教育長」という。)が別に定めるところにより出願を認めることができる。
2 中学校を卒業する見込みの者は、都内の中学校に在籍している者に限る。ただし、特別の理由により都内に住所を有し、そこから都外の中学校に通学している者は、東京都教育委員会の承認を得て出願できるものとする。その取り扱いについては、教育長が別に定める。
(Ⅲ) 定時制の課程(以下「定時制」という。)にあつては、
1 都内に住所又は勤務先を有する者
2 入学日までに都内に住所又は勤務先を有する見込み確実な者。
Ⅱ 募集定員
各都立高校の募集定員は、教育長が別に定める。
第二 出願方法
Ⅰ 出願
都立高校を志願する者は、東京都立高等学校の通学区域及び学校群等に関する規則(昭和四一年東京都教育委員会規則第四一号)に基づき次の区分により出願するものとする。
(Ⅰ) 全日制普通科
学校群(以下「群」という。)又は、全日制普通科の単独選抜を行なう都立高校(以下「単独校」という。)のいずれか一つに出願するものとする。
(Ⅱ) 全日制の専門教育を主とする学科(以下「全日制職業科」という。)及び定時制
全日制職業科又は定時制の一校一科に限り出願するものとする。ただし、志望する学科内に二科以上ある場合は他のすべての科に、志望順位をつけて出願することができる。
(Ⅲ) 前記(Ⅰ)と(Ⅱ)の併願はできない。
Ⅱ 願書提出期間及び提出先
(Ⅰ) 期間
昭和四六年二月三日(水)から二月五日(金)まで
全日制 午前九時から午後三時まで
定時制 午後三時から午後八時まで
(Ⅱ) 提出先
1 群を志願する者
志願する群の願書受付校(教育長が別に定める。)
2 単独校、全日制職業科及び定時制を志願する者
志願する都立高校
Ⅲ 出願手続
(Ⅰ) 志願者の手続
1 出願に要する書類
(1) 全日制
ア 入学願書(所定の用紙「様式一」)
イ 志願者及び保護者の住民票の写し(志願者及び保護者のうちに外国籍の者がいる場合、その者については「外国人登録済証明書」。いずれも昭和四五年一二月一日以降に区市町村長が発行したもの)
ウ 選抜の手数料 三五〇円(手数料の納入方法は別に定める。)
エ 上記のほか、次のいずれかに該当する場合は、それぞれ必要とする書類を添付する。
(ア) 父又は母及び父も母も生存しない場合は、その旨の説明書
(イ) この要綱第一-Ⅰ-(Ⅱ)-(3)〜(6)のいずれかに該当する場合は、教育長が別に定める書類
(ウ) 都内に住所を有する志願者及び保護者が、都内の都営住宅、公社住宅、公団住宅等に当せんし、又は都内に家屋を新築する場合、昭和四六年三月三一日までにそこに転居することが確実な者は、当選通知書又は建築確認書等の公的な証明書を添付すれば転入見込みの通学区域の群又は単独校に出願することができる。
(2) 定時制
ア 入学願書(所定の用紙「様式二」)
イ 居住関係調書(入学願書の裏面)
ウ 選抜の手数料 三五〇円(手数料の納入方法は別に定める。)
2 提出方法
(1) 志願者は在学(出身)中学校長の確認を経て、提出する。ただし、出身中学校のない者又は出身中学校長の確認を経て入学願書を提出することができない者は、入学願書に添えてその事情を明らかにした書類及び健康診断書(昭和四五年一二月一日以降の医師の健康診断を受け、調査書所定の様式に準じて作成されたもの、以下同じ。)を提出する。
(2) 郵送による出願は受け付けない。ただし、定時制及び東京都立大島高等学校水産科への出願は願書提出期間内に書留郵便で到着したものに限り郵送を認める。
(3) 願書提出後は記載事項の変更を認めない。
(Ⅱ) 中学校長の手続
1 入学願書の確認
中学校長は入学願書の記載事項に相違のないことを確かめ、所定の欄に必要事項を記入して、校長公印を押す。
2 調査書及び成績一覧表の提出
(1) 作成方法
この要綱に定める方法により作成する。
(2) 提出期間
昭和四六年二月三日(水)から二月五日(金)まで
全日制 午前九時から午後三時まで
定時制 午後三時から午後八時まで
(3) 提出方法及び提出先
調査書は親展扱いとし、成績一覧表(様式四)は成績一覧表調査委員会(以下「調査委員会」という。)の調査を経たものを群運営委員会委員長(以下「群運営委員長」という。)又は志願先高校長あてに提出する。
(4) 提出部数
ア 調査書は一部とする。
イ 成績一覧表は志願者の数にかかわらず次のとおりとする。
(ア) 群を志願する場合にあつては、二校群には二部、三校群には三部
(イ) その他の全日制高校を志願する場合は、各学校ごとに一部
(ウ) 定時制を志願する場合は、各学校ごとに一部
3 中学校長は、やむを得ない理由のため調査書の提出ができない場合には、その事情を明らかにした書類とともに、参考となる資料及び健康診断書を提出する。
4 中学校長は、やむを得ない理由のため調査委員会の調査を経ない成績一覧表を提出する場合、又は成績一覧表を提出することができない場合は、その事情を明らかにした書類を提出する。
(Ⅱ) 学力検査受検票の交付
志願者の入学願書等を受け付けた群運営委員長又は都立高校長は、学力検査受検票(以下(受検票」という。)を交付する。
Ⅳ 志願変更
(Ⅰ)全日制普通科の出願者は、願書提出期限後、一回に限り、自己の住所の属する学区内の群又は単独校へ次により志願変更することができる。ただし、願書の返却を受けた群又は単独校へ再提出することはできない。
1 志願変更をする者は、志願変更願(様式五)及び受検票を、出願した群運営委員長又は単独校の校長に在学中学校長の確認を経て提出し、出願書類及び調査書の返却を受ける。
ただし、第一〇、第一一、第一二及び第一三学区の中学校を卒業する見込みの者、中学校を卒業した者又は出身中学校のない者は、出願した群運営委員長又は単独校の校長に志願変更及び受検票を直接提出し、出願書類及び調査書の返却を受ける。
2 志願変更願を受け付けた群運営委員長又は単独校の校長は、その志願者の提出した入学願書、受検票、住民票の写し、及び中学校から提出されたその志願者の調査書を厳封し、返却する。
3 志願変更をする者は、返却された入学願書、受検票、住民票の写し及び調査書を次の期日に志願変更先の群運営委員長又は単独校の校長に提出し、受検票の交付を受ける。
4 志願する者のなかつた群又は単独校に志願する者が出た中学校長は、成績一覧表を願書再提出日に志願する群運営委員長又は単独校の校長に提出する。
(Ⅱ) 志願変更期日
1 願書の取下げ期日
昭和四六年二月九日(火) 午前九時から午後三時まで
2 願書の再提出期日
昭和四六年二月一二日(金)午前九時から午後三時まで
Ⅴ 群運営委員会
(Ⅰ) 各群に群運営委員会及び群運営会場を置く。
群運営委員会は、願書の受付け、受検票の交付、応募状況の報告、入学許可予定者の発表、その他採点委員会及び審査委員会に属さない群内の選抜に関する事務を行なう。
(Ⅱ) 群運営委員会委員は、群内各都立高校の校長及び教職員のうちから教育長が命ずる。
(Ⅲ) 群運営委員会に委員長を置く。
委員長は、教育長が命ずる。
委員長は、教育長の命を受け、委員を指揮監督し委員会を総括する。
第三 調査書及び成績一覧表
Ⅰ 調査書
(Ⅰ) 内容
調査書には次の事項を記載する。
1 学籍の記録
2 学習の記録
3 行動及び性格の記録
4 健康の記録
5 出欠の記録
6 特記事項等
(Ⅱ) 作成
調査書は、次により所定の欄にそれぞれ必要事項を記入して、作成担当者の私印及び校長公印を押す。
1 学習の記録
(1) 「三年」の欄は、昭和四五年一二月末日現在とする。
ただし、卒業者にあつては生徒指導要録に記載されている第三学年の学習の記録を記入する。
「一年」及び「二年」の欄には、生徒指導要録に記載されている学習の記録を記入する。
(2) 「三年」の欄の各教科の評定は次により記入する。
ア 教科の評定は、五段階とし、上位より、順次「五」「四」「三」「二」「一」の記号を用いる。
イ 評定の配分は、必修教科については第三学年の生徒全員(第三学年の出席日数四〇日未満の者及び精神薄弱の特殊学級在籍者を除く、以下同じ。)、選択教科については、それぞれの教科を履修した生徒全員について各教科ごとに次の割合による。
「五」及び「一」は、それぞれ生徒全員の数に7/100を乗じて得た数(小数第一位を四捨五入)とする。
「四」及び「二」は、それぞれ生徒全員の数に24/100を乗じて得た数(小数第一位を四捨五入)とする。
「三」は、生徒全員の数から、「五」、「四」、「二」及び「一」の数の合計を差し引いた残りとする。
なお、技術・家庭の評定の配分は、男女それぞれについて、上記の割合によるものとする。この場合、四捨五入したために、各評定段階ごとの男女合計が、生徒全員についての上記の割合による人数と異なる結果を生ずるときは、四捨五入によつて生じた誤差に限り、これを調整して各評定段階の人数が生徒全員について上記の割合になるようにする。
ウ 外国語などで、週当り授業時数を異にする二通り以上の教科を設定し選択履修させている場合には、それぞれ別個に評定するものとする。
エ 選択教科の空欄にはその学校で実施している選択教科を記入する。ただし、選択教科を設けているが必修教科とは別に評定していない場合又は必修教科とまつたく同じ評定をしている場合は記入する必要がない。
2 行動及び性格の記録
項目ごとの評定は、生徒指導要録の記入要領により、中学校在学期間を通しての評定とする。
なお、項目中「C」(昭和三〇年度以前の卒業者については、個人的・社会的・公民的発達の記録の行動特徴中「一」)と評定した者については、備考欄にその理由及びその他指導上の問題点について具体的に記入する。
3 健康の記録
(1) 健康の記録は、昭和四五年一二月一日以降に中学校において実施した健康診断の記録とする。ただし、結核欄の記録は、昭和四五年一一月三〇日以前の記録でも差し支えないものとする。
卒業者については、昭和四五年一二月一日以降発行の健康診断書を調査書に添付する。
(2) 工業に関する学科、農産製造科、食品化学科及び水産に関する学科の志願者については、色神についての医師の診断書を調査書に添付する。
4 出欠の記録
第三学年の四月一日から一二月末日(卒業者は、三月末日)までの記録とする。
5 特記事項
特記事項は、道徳、特別教育活動、学校行事等、その他において特に顕著な成果をあげた者について具体的かつ簡明に記入する。その人数は第三学年の生徒全員の数に7/100を乗じて得た数(小数第一位を四捨五入)以内とする。
6 その他
(1) 卒業見込みの者及び昭和三七年度以降の卒業者の調査書は、所定の用紙「様式三の一」により、昭和三一年度から三六年度までの卒業者の調査書は、所定の用紙「様式三の二」により、昭和三〇年度以前の卒業者の調査書は、所定の用紙「様式三の三」により作成する。
(2) 昭和四六年一月一日以降に転校してきた者については、調査書の標題の右横に「転校者」と朱書する。
別紙(2)
〔1〕 事実の記録
(1) 記入の方法
学校生活の全体、特に各教科の学習以外における生徒の活動状況について、顕著な事実を具体的に記入すること。なお、学校生活以外の活動状況についても、指導上参考となる特記すべき事実について記入してよい。
(2) 記入例
ア 例1
○ 学級の図書係として、図書の整理補修をきわめてよくやつた。
○ 学級活動で、話し合いのまとめかたが、ずばぬけてうまいので、しばしば議長に選ばれた。
イ 例2
○ 生徒会の会長として、困難な規約改正を立派にまとめた。
○ 修学旅行中、保健係として急病人の面倒をよくみた。
ウ 例3
○ 学級活動での話し合いの場合、自分の意見を固執することが多い。
○ テニス部員として活躍はしたが、部長と意見が対立し、口論することが多かつた。
エ 例4
○ 病気の母をよく看護し、いつも弟妹の世話をよくしている。
○ 九月一四日の下校時、鉄道線路上で遊んでいた幼児二人を列車通過寸前に助け出し、警視総監から表彰をうけた。
〔2〕 評定
(1) 評定の表示
掲げられた項目ごとに、A、B、Cの三段階で記入すること。「基本的な生活習慣」から「公共心」までの項目では特にすぐれたもの、「積極性」と「情緒の安定」の項目では特にその傾向の著しいものをAとし、Bは普通、Cは特に指導を要するものを意味する。
(2) 評定の記入
評定は、全項目にわたり、全員につき毎学年の学年末に記入することを原則とする。ただし、編入学・転入学直後のような場合などで、その特徴を明確にとらえがたい場合においては、生徒によつては記入しない項目があつてもさしつかえない。この場合、評定しない項目の欄は斜線を引くこと。
(3) 余白欄の利用
項目が示されず余白になつている欄は、学校において特に項目を追加する必要を認めた場合、設定、記入することができるようにしたものである。項目を追加する場合は、この欄に掲げられた項目の内容の一部分だけを取りあげたものであつたり、いくつかの項目をあわせたようなものでなく、かつ、その学校として全学年を通じて用いるものでなければならない。
(4) 各項目の趣旨
この欄に掲げられた項目は、次のような趣旨のものである。
○ 「基本的な生活習慣」
生命の尊重・健康・安全の習慣が身についている。正しいことばづかいや能率的な動作ができる。身のまわりを整理整とんする。時間や物資や金銭をだいじにし、合理的に活用する。など
○「自主性」
自分で考え、決断し、実行する。信ずるところをはつきり主張し、行動する。など
○「責任感」
自分の言動に責任をもつ。自分の仕事や役割を自覚して確実に果たす。など
○「根気強さ」
正しい目標の実現のためには、困難に堪えて最後までしんぼう強くやり抜く。ねばり強く仕事をする。など
○「自省心」
自分の特性や長短を知つている。自分のあやまちを卒直に認める。わがままな行動をしないで節度を守る。謙虚に他人の意見に耳を傾ける。など
○「向上心」
真理を愛し、理想に向かつて進もうとする。創意くふうをこらして生活をよりよくしようとする。など
○「公正さ」
正と不正を見きわめる。正義を愛し、悪を退けようとする。自分の好ききらいや利害にとらわれずに公正にふるまう。など
○「指導性」
指導力があつて、人から信頼される。など
○「協調性」
他人の立場を理解する。互いには信頼し合い、助け合う。狭い仲間意識にとらわれないで集団生活の向上に協力する。など
○「同情心」
他人の気持ちや立場を尊び親切にする。他人の失敗や不幸を暖く励ますことができる。など
○「公共心」
きまりや規則を理解して守る。公共物をたいせつにする。公共の福祉のためにつくそうとする。など
○「積極性」
積極的に行動しようとする傾向。
○「情緒の安定」
情緒が安定している傾向。
〔3〕 所見
(1) 所見の記入
この欄には、生徒の全体的な特性を記入すること。また、Cと評定した場合には、具体的な理由や指導方針を、項目ごとに記入することが望ましい。場合によつては、数項目をまとめて全体的に記入してもよい。
(2) 記入例
ア 全体的特性の場合
○ 明朗で積極性に富み、態度も落ちついている。
○ 一見まじめそうであるが、相手によつて態度を変える。
○ 引込み思案であるが、あたえられた仕事は正確に処理する。
○ きちようめんで、やや神経質に見えるが、抱よう力をもつている。
イ Cと評定した場合
(根気強さの例)
○ きわめてあきつぽいので、作業時励ましや助力を与え、完成のよろこびを経験させるように努めた。
(情緒の安定の例)
きわめて内気であり、神経質である。グループの中でよい友人をもたせるように指導している。